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27年振り…

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1998年8月難民キャンプ支援活動で訪れたのが、私の初クロアチア🇭🇷
初めてのクロアチアの街はイストラ半島のプーラ
今回帰りの飛行機まで時間があったので、27年振りに当時の活動場所へ行ってみた。

活動していたのに、地域の名前しか覚えておらず地図を見てもさっぱりどこかわからない…
地名でUberをお願いした。運転手さんがプーラの人だったので、当時の事を話してそんな所に辿りつけるか?聞いてみると…「あああああ!それは今はコミュニティセンターで、難民キャンプは老人ホームになっているよ!」

知っていた…本当にいつも人に助けられて生きている🙏

車を降り、目の前の建物を見たら、あの時の思い出の破片が一気にバラバラと蘇った。

コミュニティセンターは当時はユースセンターで若者のサークル活動場所だった。そこに難民キャンプから子ども達と一緒に様々な活動に参加した。

当時からあった壁のグラフィックアートで一気に思い出すと、何と難民キャンプだった場所までの道も思い出した。
正面から入っていた建物は廃墟になっていたけれど、裏からまわると難民キャンプは老人ホームになっていた。当時キッチンだったところは今もキッチンで、「オッキーオッキー、焼きたてのパン🍞食べにおいで〜」って当時の場面まで思い出し涙が出た。

そう言えば、現地のNGOスタッフが連れて行ってくれた素敵なカフェがあったな…眠っていた思い出が更にカフェの道まで思い出してくれて、面影を残したカフェに辿り着いた。オーナーが変わり前のカフェではないらしい…

帰りはまるで当時のように地図を見ずとも、ゴールデンゲートまで辿り着き、たくさんの別れを繰り返したバスターミナルにも着いた。

あの時、27年前のこのプーラの街からクロアチア🇭🇷人生が始まった。

プーラは来る度に初心を思い出す特別な街

当時はユースセンター
1998年は難民キャンプだった建物