【クロアチア現地ガイドが案内!】スプリットSplit1:世界遺産ディオクレティアヌス宮殿の概要、リヴァ、地下宮殿、ペリスティル

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【クロアチア】スプリット1:世界遺産の宮殿の街必見みどころ

今日は、世界遺産ローマ皇帝の宮殿が市民の生活に溶け込んでいる、クロアチア観光でも人気みどころ、スプリットをご案内します。

クロアチア第二の都市スプリット概要

スプリットは、アドリア海沿岸に位置する海運の街。首都ザグレブに次ぐ、クロアチア第二の都市ですが、人口は16万人。近郊も合わせると26万人です。

日本でいうと私の出身地の、盛岡と同じくらいの小さな街です。

ユネスコ世界遺産、ディオクレティアヌス宮殿がある、人気の観光地で、春から秋にかけてにぎわいます。また、夏のリゾート地として、夏の間だけ華やかなクロアチアのほかの海沿いの町とは異なり、冬でも活気にあふれているのも、魅力の一つです。

スプリット観光の目玉はズバリ、ユネスコ世界遺産に登録されている、ディオクレティアヌス宮殿です。歴史の逸話や見どころ満載なので、観光の所要時間は約2時間が目安ですが、実は歩く距離は約2キロと気軽に楽しめます。

今回のスプリット観光必見スポットパート1では
世界遺産ディオクレティアヌス宮殿の概要、リヴァ、地下宮殿、ペリスティル
パート2では、ひきつづき宮殿内に位置する大聖堂(霊廟)、鐘楼、洗礼室(ジュピター神殿)、ヴェスティブル(前庭)、回廊、東の門、青空市場とスプリット観光のコツ
パート3では、金の門、グルグールニンスキの像、国民広場、西の門、果物広場、魚市場、マルモントバ通り、共和国広場、マリヤンの丘などをご案内します。

海沿いの遊歩道リヴァRiva

スプリット観光の起点となるのが、この海沿いの遊歩道のリヴァ。バスターミナル、鉄道駅、フェリー乗り場からものんびり歩いて10分以内です。

カフェやレストランが軒を連ねる、歩行者天国のリヴァは、スプリット市民の憩いの場所。朝から晩まで賑わっています。

19世紀の短いナポレオン支配時代に埋め立てられ、整備されたリヴァ。地元の人はここのカフェでの社交や散歩が習慣となっています。リヴァにいると必ず知っている人に会い、様々な情報交換が行われ、スプリットのリビングルームと言われています。

ディオクレティアヌス宮殿概要

ディオクレティアヌス宮殿は、南北に180メートル×東西に215メートル。約3万平米とサッカー場4つ分の広さがありました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Diocletian%27s_Palace#/media/File:SPLIT-Maritime_front_restitution.jpg

16の塔で囲まれた軍事施設のような宮殿で、軍人からローマ皇帝に成りあがったディオクレティアヌスらしい作りと言われています。

宮殿内は二本の大通りで分割されていました。南北をつらぬく通りがカルド通り、東西はデクマノス通りと呼ばれ、当時は幅10メートルもありました。

デクマノス通りの北側は兵営や使用人住居、南側は皇帝の住居と地下室でした。南側は海に面していて、南門にガレー船がつけるようになっていました。美しい装飾が施された南側には、皇帝の散歩回廊がありました。

解放奴隷の子からローマ皇帝に!ディオクレティアヌス帝

この宮殿を作ったのが、当時のローマ皇帝ディオクレティアヌス。

3世紀末、巨大な範囲になったローマ帝国を4つに分けて統治を始めたことで有名なローマ皇帝です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Diocletian#/media/File:Tetrarchy_map3.jpg

スプリットの近くの、サロナというローマ帝国属州の州都で、解放奴隷の子として、244年頃に生まれました。混沌とした軍人皇帝時代、皇帝になるための登竜門であった軍人を経て、40歳前後で皇帝に即位、存続の危機に瀕していた帝国を安定させ、各種改革を行いました。

病気を患ったこともあり、終身制だった皇帝としては、初めて退位しました。60歳前後のことです。その退位後のすみかとして建設されたのが、このスプリットの宮殿。70歳前後でなくなるまでここで暮らしました。

ちなみに、この宮殿が作られた時代の日本はまだ古墳時代です。

南門(銅の門)

リヴァから宮殿の中へは、南門から入ります。当時は勝手口のような裏門でした。

宮殿には全部で4つの門があり、16世紀のヴェネチア共和国治世時代に、北側の正門は金の門、東は銀の門、西は鉄の門、そしてこの南門は銅の門と呼ばれるようになりました。

ローマの空間技術の百科事典!地下宮殿

地下宮殿は海側から入ると1階ですが、宮殿では地下になります。

下のような斜面になっていて、宮殿の正門、北の門から入ると、地上階には皇帝の住居部分があり、その地下部分にあたるためです。

http://Antička kanalizacija Dioklecijanove palače u Splitu (irb.hr)

ディオクレティアヌス宮殿は、世界でもっとも保存状態の良い、ローマ時代の宮殿建築とされ、1979年にユネスコ世界遺産に登録されました。世界遺産に指定された秘密はこの地下にあります。

実は、この地下は何世紀にもわたり、ゴミ捨て場として使用されたため、ゴミが詰まっていたのです。そのため、1955年に発掘が始まるまで、この地下だけが、約1700年前のまま手つかずの状態で残っていました。ローマの空間技術の百科事典と言われています。

地下は、上階の皇帝の住居を支える基礎として、設計されているため、部屋の大きさや形は全て上階と同じ形。地下を研究することで当時の皇帝の住居がどのような設計だったのかがわかるのです。

http://www.mgst.net/dioklecijanovi-podrumi/

左右の地下宮殿は有料で入場できます(黄色の部分)。中世の時に使っていたオリーブの搾取機やディオクレティアヌスの胸像も展示されています。イベント会場に使われていることもよくあります。

ペリスティルへと続く通路はお土産屋さんが並んでいます。このあたりは、スリの出没ポイントなので、ご用心ください

列柱広場ペリスティル

宮殿の真ん中にあるのが、列柱広場ペリスティルです。ここは祭儀の場として使われていました。

石柱に秘められたディオクレティアヌス帝のこだわり

ペリスティルに使われている石柱は、エジプトから運ばせたものです。エジプトは、当時ローマの属州、ディオクレティアヌス帝の担当エリアだったため、実際に遠征にも行きました。

石柱の色は、大理石の白から南側の皇帝住居の方へ近づくにつれ、ピンクの石柱になっています。ピンクの花崗岩でできた石柱は高価で、更にディオクレティアヌス皇帝のシンボルカラーが、ワイン色だったことから、自分の住居に近づくにつれ、このピンクの濃い石柱を使いました。

古代の染料は高価でしたが、なかでも、赤や紫色はとびぬけて高価でした。そんな紫色は皇帝のみが、身に着けることが許された色だったのです。

エジプトから持ち帰ったスフィンクス

エジプトと言えばスフィンクス!3500年前のものです。

スフィンクスも、ディオクレティアヌスが、エジプトから運ばせたものです。当時は全部で12体ありましたが、現在、頭が残っているのは、この1体のみです。他のものはなくなったり、壊されたりし、今でも観光客が見れるものは、ペリスティルとユピテル神殿などに置かれている数体だけです。

観光シーズンにはイベントも!

5月中旬から9月末の日中は、ローマ兵のコスチュームをつけた人がいます。写真をとるのは自由ですが、一緒に撮影してもらうときは、10クーナほどのチップを払います。

また、同じ時期には毎日12時なると、ディオクレティアヌス帝の護衛兵交代セレモニーも行われ、観光客に人気です。

【こぼれ話】
ディオクレティアヌスが皇帝を退位し、はまっていたこと、皇帝に戻るのは嫌だ!とまで言わせたもの…。それは皇帝引退後の、自給自足の楽しみでした。「自分の手で作ったキャベツの美味しさを知ってしまったら、もう前線には戻れない・・・。」と言って戻らなかったと言われています。

この続きはパート2でご覧いただけます。

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